「フォト北海道」サービス終了!?
衝撃のニュースが飛び込んできました。
北海道新聞の写真データベース「フォト北海道」が、2020年3月23日(月)をもって、サービスを終了するというのです。
このデータベースには、北海道の鉄道に関する貴重な資料もたくさん残っています。廃線や国鉄時代の資料も多く残っていて、このような写真を気軽に閲覧できる貴重なサイトであったために、今回のサービス終了は非常に残念なことです。
写真は今見ておかなければならない・・・ということで、ちょっとこの場にリンクとともに写真から読み取れることを簡単に書き残しておきたいと思います。まあ、自分用のメモです。今回まとめるのは、データベースの写真から読み取れる「札幌市営地下鉄のサイン」についてです。なんだそんなマニアックな分野かよ・・・という声が聞こえてきそうですが、写真から読み取れることをできるだけ詳しく書いたつもりです。
「フォト北海道」から読み取る札幌市営地下鉄のサイン
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268782
1971年12月16日のさっぽろ駅。上半分には黒地に黄色と思われる「←出 EXIT 口→」下半分は白地の看板が確認できます。「表示板不足に客はウロウロ」と説明されています。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268561
1972年12月14日の大通駅。改札機上には「入口」「出口」の看板が並んでいます。上半分は黒地に黄色と思われる「出 EXIT 口」下半分は白地の看板が確認できます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268416
1973年2月16日の大通駅定期券うりばです。「地下鉄・市バス・市電 ←定期券うりば」という看板が確認できます。北24条駅に最近まで残っていたものとほぼ同じタイプです。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268364
1976年4月3日の大通駅です。「定期券うりば→」という白地に青色の看板、「↑大通駅方面 For Odori」というおそらく黒地に緑色の看板、「出口 Exit オーロラタウン」という黒地に黄色の看板が確認できます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090420009
1976年12月10日の大通駅。丸みを帯びた時計が写っていますね。番線標が「白石方面」と単独表記であること、「□出口」という看板も確認できます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090359412
1982年3月9日の新さっぽろ駅4番出口。Sマークがついた駅名板が写っています。英語は「SUBWAY」のみです。フォントは「見出しゴMB31」と思われます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268563
1982年3月22日の新さっぽろ駅。「新さっぽろ」という柱用の駅名標、「大通・琴似方面 2」「斜め上 □出口」という看板が確認できます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268621
1988年12月1日の大通駅。東豊線開業当日です。「↑化粧室」という看板が確認でき、現在も設置されているこの看板は開業当初からのものだということがわかります。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268316
1988年12月2日の大通駅。床面に表記されている東豊線の文字は開業時からあったことがわかります。LED表示器とセットの「←東豊線」「↑南出口」看板も確認できます。フォントはゴシック4550です。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268314
1988年12月23日の大通駅。東豊線ホームの電照メッセージが取り上げられ、「かわいい顔がまっているから、早く帰りましょう」という文字が確認できます。□□SUBWAYの□部分にはいくつかパターンがあり、記事では「家路サブウェイ」が紹介されています。このメッセージは、東豊線にホームドアが設置される直前まで設置されていました。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268295
1989年4月の地下鉄駅のエレベーター。1号機と書いてあります。大通駅でしょうか。「ご自由にお使いください 札幌市交通局」の看板があります。フォントはゴシック4550です。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090268461
1989年7月16日の自衛隊前駅です。1世代前の駅名標、「←出口」看板も1世代前のものです。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090389440
1989年9月19日の琴似駅のトイレ。トイレの古いピクトグラムが書かれた看板が、ワイヤーのようなもので吊り下げられています。現在西11丁目駅に残っている非電照式のアクリル板だと思われます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090471946
1989年12月31日の平岸駅。平岸駅の独特の小さな駅名標、精算機の看板、出口3と真駒内方面ホーム通路を示す看板が確認できます。精算機看板の手前にある真っ白の看板は不明です。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090477431
1993年の霊園前駅。1世代前の駅名標、「←出口」看板も1世代前のものです。ホーム外壁に「1板ホーム真駒内方面」の表示、白線が表示された乗車口案内板が確認できます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090475714
1994年9月30日の中島公園駅。改札を出たところにある吊り下げサインは「←1」とあり、「中島公園・南 大橋 市営バスのりば方面」などを示していますが、左側に向かうと2番出口だったようです。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090475713
1994年9月30日の中島公園駅。STマークのついた現在でもよく見るタイプの駅名板です。駅名板の隣にスピーカーがついていて、何のための設備なのか気になります・・・
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090470001
1995年6月頃の大通駅。乗り換え表示板がわかりづらいとの声から、交通局が改善を検討しているという記事です。この付近の乗車位置は大変込み合いますという旨の掲示が3枚ほど確認できます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090469582
1995年11月21日の南北線の駅(大通駅と思われます) 緑色の乗車口案内板の上部の「黄色い線」が点字ブロックのようにも見え、人間が点線の外側に立つようにも見える、と記事にされています。同年11月中に全て訂正されたようです。
青色の乗車口案内板はこの頃と末期まで変わっていなかったということがわかります。
“緑色の乗車位置”懐かしい…
— YU-YU (@atssnsg) 2018年2月23日
修正前の表示板はなおさら。(´-`).。oO#札幌市営地下鉄 pic.twitter.com/e0yjGTtofX
当時の新聞記事のツイートです。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090273906
1999年9月の大通駅。案内地図と紹介されていますが、建物名などが羅列された看板だと思われます。日本語フォントはゴナです。北海道庁 Hokkaido Gort 道立美術館 Hokkaido Museum of Moderw Artなどと記載されているように見えます。英語表記に誤りが目立っていると紹介されています。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090461954
1996年11月20日の大通駅。21日から使用が開始される2丁目改札口の写真です。看板には「東豊線のりば」と中央に大きく、「2丁目改札口」と右端に小さく書かれており、現在設置されている看板と異なります。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090273844
1999年12月2日のすすきの駅。この時点で「←出口」の看板が現在のものに変わっていなかったということがわかります。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090023584
(おまけ)2000年7月8日のJR札幌駅。「↑西通り出口 地下鉄 大通り・道庁方面」というJR初期の看板。フォントはゴナです。地下鉄の表記が2000系を模したピクトグラムです。「大通り」という表記も特徴的です。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090039309
2001年4月25日の福住駅3番出口。現在と変わらない駅名板が設置されていますが、エレベーター部分は紙で塞がれています。当時まだエレベーターが完成していなかったと考えられます。
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090003488
2002年の福住駅。現在多くの駅で見られる、非常停止ボタンの看板が設置されたというニュースです。しかし、SOSの文字がHG創英角ポップ体のように見え、手のイラストも現在と異なる気がします。
今回はこの辺まで。そんなの当たり前でしょ!というどうでもいいことまで意味もなく書き起こした気もしますが・・・暇があればJRの資料なども色々調べて見たいですね。