東西線白石~新さっぽろ間が延伸されたのは、南北線北34条~麻生間が延伸した4年後のことです。このころは地下鉄がどんどん作られていく時代ですねぇ・・・当時はどのような雰囲気だったのでしょうか。
初めて「車両を模したピクトグラム」が登場!
さて、今回取り上げるのは東西線新さっぽろ延伸時のサイン。正直なところ、このころのサインは明確に分けることが難しく、少しずつデザインが変化していく時期です。おそらくその時代に設置されたであろうサインたちを紹介します。
二十四軒バスターミナルに設置されているサインです。かつては多くの駅に設置されていたと思われますが、ほとんどが2015年ころにステッカー化。このサインは駅構内ではないため奇跡的に旧サインが残っています。設置時期は正確にはわかりませんが、ターミナル供用開始当初からのものではないと思われます。当時の車両を模したピクトグラムが特徴です。
小さい写真で恐縮ですが、右側「南北線のりば」がこのタイプのサインです。左側と比べて「のりば」の表記があることが特徴です。さらに、2000形を模したピクトグラムをよく見ると、市章に星型マークがないということが分かります。
東西線の多くの駅に設置されている番線標です。新さっぽろ延伸当時に交換されたものと思われます。
きっぷうりばサイン。矢印が付いているものは珍しいです。矢印がないタイプは、現在も多くの駅で見ることができます。東西線白石~琴似間の駅では、新さっぽろ延伸前後でこのタイプに取り換えられたものと思われますが、開業から6年で取り換えられたというのは不可解な話です。当時の資料も少ないのでよくわかりません。
新さっぽろ駅ホームの「南出口」サインです。2枚あるうち1枚だけ、ステッカー化されずに残存しています。
上側のサインが延伸当時からのものと思われます。下側のサインは次回紹介する「東豊線開業時」のころのサインです。ひばりが丘駅にエレベーターがいつ設置されたのかを探ると、答えが見えてきそうです。
新さっぽろ延伸当時に交換されたものと思われます。
ひばりが丘駅にある化粧室サイン。ピクトグラムに時代を感じますね。
設置時期と設置駅
東西線が新さっぽろまで延伸された1982年ころに設置されたと思われます。フォントは見出ゴMB31、英語はHelveticaに似ているようで違う書体である、Universです。見出ゴMB31のサインはこのころが全盛期です。
東西線新さっぽろ~琴似間の多くの駅に設置されています。南北線では麻生駅、かつてのさっぽろ駅に「のりば」サインが設置されていたほか、「きっぷうりば」サインなどが複数の駅に設置されています。なお2015年ころのサインのステッカー化により、多くのサインが姿を出さなくなってしまっています。特にコンコースの出口サインなどはほぼすべてステッカー化されてしまっています。
このタイプの特徴
フォントなどは東西線開業当時のサインから、それほど変わっていないことが特徴です。「きっぷうりば」「精算機」などのサインは、東西線開業当時のタイプとこのタイプで、特に変化した点がありません。
当時の車両を模したピクトグラムが登場したのは、このタイプが初めてではないかと思われます。なお、南北線2000形を模したピクトグラムには、市章に星型マークがないという特徴があります。
またタイプの特徴として「文字が路線カラーのオレンジである」ということもポイントです。東西線開業当時は、バスターミナルの案内やホームの番線標などは、緑色で表記されていました。当時の資料が少ないのですが、東西線開業当時はオレンジ色のサインはかなり少なかった、もしくは皆無だったのではないかと思われます。それが、このころになると路線カラーを意識したのか、番線標や「のりば」表記がオレンジ色で表記されるようになりました。
また、コンコースの出口サインに英語が併記されていないのはこのタイプまでです。
ちなみに、このころの「出入口案内表示板」はこのようなもの。今ではおなじみのこのサイズの看板がいつから設置されたかは不明ですが、この新さっぽろ延伸が初という可能性もあるかもしれません。(今後じっくりと調査が必要です)
前回紹介した、南北線麻生延伸時に設置された「見出ゴMB31」のサインはこのタイプとも言えます。分類が難しいです・・・
このタイプのサインは「のりば」「出口」サインを中心に、ステッカー化によって姿を見せなくなったものが多いです。ステッカーさえはがせばたくさん見られるのに、残念です・・・
以上、東西線新さっぽろ延伸時のサインについてでした。