もみじの研究ノート

駅名標の奥深い世界へようこそ。

鉄道存続には何が必要なのか - 小樽~余市間の議論を踏まえて

はじめに

私は決して地方公共交通のプロではありません。また、実現可能性が低いものもあえてそのまま書いていることがあります。記載した事実に誤りや誤った認識がありましたらお知らせいただければありがたいです。

 

小樽~余市間の存廃議論

函館本線小樽~長万部~函館間は北海道新幹線開業により経営分離が行われ、第3セクターによる存続、またはバス転換が議論されています。現在の所新函館北斗長万部余市間の旅客鉄道存続はかなり厳しい情勢となっており、鉄道による存続がある程度現実的に議論されているのは函館~新函館北斗間、余市~小樽間のみです。そのうち小樽~余市間では全道的にも高い乗車人員を誇りますが、線路の維持に多額の費用が掛かることが主な課題となっています。

現在この区間の議論にはYouTuberの方が参加し、町の担当者と議論する動画が公開されています。

youtu.be

今回の記事はこの動画がきっかけです。自分の考え方をちゃんと整理しておこうと思いまして。

 

鉄道存続には何が必要か

私はローカル線の存廃議論において、鉄道存続には次の2つが必須であると考えています。

  • 極端に利用が少なくない
  • 移動手段が鉄道でなければならない理由が明確にある

私がこの基準をもとに北海道の各線に照らし合わせると次のようになります。留萌線は「極端に利用が少ない」路線です。沼田町は鉄道存続を求めていますが、訴えているのは「駅は街の顔」ということばかりで、「移動手段」が「鉄道」である必要性が見えてきません。よって、多額の費用をかけて鉄道の存続する意味が薄いということになります。

反面、根室線富良野新得間は街と街を結ぶ鉄道です。2つの街の先にも鉄道が走っており、これらの2地点を結ぶことには大きな意義があります。例えば観光列車を運行させるには「富良野」「トマム」「十勝」などを結ぶこの区間が必要であり、鉄道でなければならない理由があるのです。石勝線の代替ルートとしてはほとんど役目を終えていますが(注:1990年代に夜行特急として活用されたことが最後と思われる)、北海道が重要と位置付ける観光列車の運行において、この区間は重要であるはずなのです。JR北海道は「しかしながら極端に利用が少ない」として廃止を提案していますが。

 

さて、余市の例を見てみます。この区間は利用者は少なくありません。むしろ見た目の利用者は北海道で1番多いのではと感じるほどです。よって利用者が極端に少ない心配は薄い。ではあと何が必要か。今ある利用者を維持すること、そして移動手段が鉄道でなければならない理由を明確に示すことです。

 

積極的に鉄道を使っているか

ここでは鉄道とバスの比較をしていきましょう。ローカル線廃止反対!と叫ぶ人たちはなぜ廃止反対なのか。詳しく聞いてみると、「バスは高い」「バスだと定期券が値上がりする」といった声が聞かれます。これは裏を返せば、「安いから鉄道を使っている」ということで、「鉄道が便利だから使っている」というわけではないのです。バスが安ければバスを使ったでしょう。鉄道は仕方なく使うものになっているのです。

ちなみに現在、小樽~余市間の普通運賃は長らくJR優位でしたが、この間の値上げで中央バスが逆転しました。しかし定期券は引き続きJRのほうが安いことでしょう。(正確に比較してない)

さらに、並行在来線はJRと比べて一般に運賃が高くなります。安くなる例は聞いたことがありません。小樽での乗り継ぎで一気に百円以上高くなるかもしれません。こうなると「安いから鉄道を使う層」が消えてしまうんですね。つまり鉄道が安いから使っている状態を変えなければならないのです。

鉄道の利用者離れは現在進行形で進んでいます。鉄道が存続するには、利便性、魅力度などを向上させ、今いる利用者が離れていかないようにすることが大切です。

 

鉄道とバスの違い

鉄道とバスの運賃以外の違いは何なのか。これはマニアの意見を聞かなくても、意外にも地元利用者の意見からくみ取ることができます。私がよく知っているのは「車内が広い」「揺れが少ない」「乗り降りが楽」といったものです。なお、ここでは「地域のシンボル」「地図から駅が消える!」系の話題は省きます。

車内が快適

まず車内が広いこと。これは走行中の車内を自由に移動できることも含まれているでしょう。トイレに行くにも躊躇しません。足もとも路線バスと比べると非常に広くなっています。鉄道の魅力を高めるには、こうした点を生かさなければなりません。(したがって、キハ120のようにボックスシートの居住性を極限まで切り詰めたり、トイレを設置しないといったことをしてはなりません)

また、揺れが少ないこと。日高線廃止反対の意見として「バスは酔う!」というものがありました。正直なところそんなんで鉄道は存続しないよと思うのですが、決して無視してよい意見ではありません。北海道は冬季に路面状況が著しく悪化することがあり、バスの揺れも相当大きなものになります。半面鉄道は雪の中でも揺れなく走ります。それだけ除雪費や維持費がかかっているということなのですが、揺れの程度には天と地ほどの差があります。揺れの少ない鉄道は、誰にでも優しい交通機関なんですね。

乗り降りが楽

次に乗り降りが楽ということ。「バスは乗り降りするときの段差がつらくてねぇ」なんて声をよく聞きますが、これはそもそもにわかに信じがたいことでもあります。ただし多くの人が口にするのも事実らしいのです。大変不思議なのですが、これについて考えてみます。

バスと鉄道で大きく異なることは、「乗り降りの際に時間に追われるかどうか」が大きい気がします。

バスの場合、乗車するときは足もとに気を付けて階段を上り、整理券をとらなければいけません。自分の座る席を直ちに決め、着席するまでバスは発車しません。降りるときには前停留所とのわずかの間に整理券番号と運賃を照らし合わせ、財布の中身をチェックし、運賃が釣銭のないよう用意できるか確認します。バスが完全に停止し、ドアが開くまで座席を立ってはいけません。バスが停車したら1秒でも早く出口にたどり着き、小銭が不足している場合は両替します。そして所持する小銭を整理したのち、釣銭のないよう運賃箱に入れます。そして数段の段差を降ります。

私たちにとっては当たり前ですが、こうして書くと相当な手順を踏む作業です。そしてバスの場合、この作業を「1秒でも早く行わないといけない」という意識が、自分にも周りにもあります。自分がもたもたしているとその分バスが「遅れる」んですね。

反面、鉄道にはそれがほとんどありません。有人駅では乗車券を購入することができます。自分のペースでゆっくり買えますし、お釣りも出ます。駅員に「札幌往復で」というだけで、自分に合った割引きっぷまで出してくれます。列車が止まってから席を立つ必要もありません。

こうした些細な違いが、鉄道とバスの利用しやすさを決めているのではないかなと思います。バスは停留所に券売機を設けることはできるものの、走行中に席を立つことはどうしてもできないでしょう。ICカードにより多少負担は軽減されますが、バス車内でのチャージなど、完全になくすことはできないように思われます。

 

鉄道にはこのような特性があります。そして忘れていましたが「高速大量輸送」もですね。移動手段が鉄道でなければならない理由は、鉄道のこの特性が必要だということを主張する必要があると思うのです。そしてみなさんご存じの通り、駅は街の顔であったり、鉄道の踏切音は時報の役割を果たしたり、子どもがキラキラした目で列車に手を振ったりしますね。これは今回は「ついで」の話題とします。

 

それはバスでも可能では?

鉄道の強みは「高速大量輸送」「車内が広い」「分かりやすい」「地域のシンボル」こういったところにあると思います。しかし、後半2つ「分かりやすい」「地域のシンボル」の2つは、バスでも可能なのではないかというのが私の考えです。

分かりやすさ

「鉄道は地図に載るからわかりやすい」「鉄道はレールがあるからわかりやすい」これはバスを地図に載せれば解決するはずです。現在の法律では国土地理院の地図には載らないでしょうが、小樽市余市町の2自治体が連携し、観光マップなどには必ず余市へ行く地図を線で載せるようにすれば解決します。鉄道はレールがあるからわかりやすいのも事実ではありますが、実際にレールが伸びている姿を見ることは少ないように思われます。大事なのはレールそのもの、鉄道そのものではなく、交通機関をどのように表現するかだと思います。

表現を工夫して、たとえば列車の小樽到着前に「余市倶知安方面へおいでのお客様は、バスにご乗車ください」という放送を付け加えるのもいいですし、小樽駅駅名標にはバス路線も表現して「しおや」という文字を掲げ続けてもよいのです。

駅は地域のシンボル

なのであれば、バスに「駅」をつくれば解決します。鉄道のメリットが「駅できっぷを買えてのんびり待てる」のであれば、バスの駅できっぷを売り、バスが来る1分前に案内放送を流せば(さっき鉄道の特性と書いたのに矛盾しますが)解決します。きっぷに代わる便利な決済方法もアリです。バス停のポールの存在感が足りないのであれば大きな駅名標を設置すればいいですし、列車が来る時の踏切の音が時報代わりになっているのが魅力なのであれば、バスが来るときにメロディーを流せばよい。駅が街のシンボルなら、その駅の何がどうシンボルなのかを考え、引き継いでいくことで解結するのではないかと思います。その「駅は街のシンボル」に、鉄道車両がレールの上を走っている必要性は薄いのではないでしょうか。

 

このように、代替バスにいわゆる「BRT」的な考えを取り入れていけば、十分に鉄道の代替になるのではというのが私の意見です。「BRT」において大切なのは専用道ではなく、連接バスでもない。むしろ「駅」部分なのではと思っています。そして、その「BRT」でも補えないから鉄道は必要不可欠だ!ということを示していかなければならない。そう考えています。

 

さて、次回は小樽~余市間の現状と(私が考える最強の)改善策を細かく見ていきます。つづく。