もみじの研究ノート

駅名標の奥深い世界へようこそ。

宗谷本線の駅名標にあった蛍光灯型の照明

駅名標照明、と呼んでいいのか分かりませんが、建植式駅名標の上部に取り付けられている白熱電球や蛍光灯型の照明設備。山手線の駅でさえ駅名標を消灯する昨今ですが、ほんの数年前まで北海道ではまぁまぁありふれていた設備でした。その中で、やけに蛍光灯型の照明が目立つ路線がありました。宗谷本線です。

咲来駅(2014年8月)

咲来駅の例です。だいぶ錆びていますね。なお現在は照明が外されています。

美深駅(2014年8月)

美深駅です。枠も照明も咲来駅と同じタイプに見えます。電線が地中からか上からか、という違いがありますね。この時代は有人駅だったこともあり、除雪が丁寧に行われていたと思われ、照明があまり錆びていません。もしくは、塗り直されたのかもしれません。

しかも、「つちぶた本舗全駅訪問の旅」などで昔の駅名標を見ていると、これより咲来より小さな駅でも駅名標照明が設置されている駅が多くあります。これはなぜなのか。昔からなんとなく疑問に思っていました。

以下に抜海以南の宗谷北線の駅名標照明設置駅と、電線が上からか、地中から伸びているかを列挙します。特記のないものは「つちぶた本舗全駅訪問の旅」より、2005年ごろに撮影されたものを参照しています。なお、ざっと見渡してまとめただけで、あまり精査はできていません。ごめんなさい。

  • 抜海#2:蛍光灯型 上
  • 勇知:蛍光灯型 上
  • 兜沼#1:2004年時点で蛍光灯型撤去跡
  • 兜沼#2:正方形型 上?
  • 芦川:1989年時点で電球型、2001年時点で蛍光灯型 上
  • 徳満:2001年時点で撤去
  • 下沼:蛍光灯型 地中
  • 幌延正方形型
  • 幌延:蛍光灯型撤去跡 上
  • 南幌延:なし
  • 安牛:蛍光灯型 上
  • 雄信内:蛍光灯型 地中
  • 糠南:なし
  • 問寒別:2001年時点で電球型の撤去跡
  • 歌内:蛍光灯型 上
  • 佐久:蛍光灯型 上
  • 筬島:蛍光灯型 地中?
  • 音威子府#1:蛍光灯型 2002年時点で地中廃止・上?
  • 咲来:蛍光灯型 上
  • 天塩川温泉:なし
  • 豊清水:蛍光灯型 地中
  • 恩根内:蛍光灯型 不明
  • 紋穂内:蛍光灯型 上?
  • 初野:なし
  • 美深:蛍光灯型 地中
  • 南美深:なし
  • 智北:なし
  • 智恵文:蛍光灯型 上
  • 北星:なし
  • 智東:蛍光灯型 地中
  • 日進:なし

さて、仮乗降場タイプの駅にはありませんが、それ以外のほとんどの駅には蛍光灯型の駅名標照明が設置されていることが分かります。例外は2005年時点で枠の老朽化が著しい上幌延駅や、2001年時点で極端に利用が少なかったと思われる徳満駅くらいです。あとは大都会問寒別になぜかないのは謎です。

なお、蛍光灯型が跡形もなく撤去された駅では、その前に設置されていたと思われる電球型のネジの跡が現れる駅があります。歌内駅などがその例です。

 

ここでなんとなく感じられるのが、発足間もないJR北海道が、盛土式ホームの駅を主要駅のような位置付けとし、駅として生きた姿を保とうとしていたことです。当時はまだ緑色がそれほど劣化していない貨車駅舎もラベンダー色に塗り替えたのでしょうし、わざわざ蛍光灯を設置するくらいには乗客に駅の存在を主張しようとしていたのです。それがやがて安牛駅のようにボロボロになり、今に至ります。改めて宗谷本線の貨車駅舎の姿を眺めていますが、礼受のように海が近いわけでもないのに、異常ともいえる姿です。

蛍光灯の照明は1990年代に交換されたもの

駅名標照明が交換されたことが分かる数少ない資料が芦川駅です。

strike.coor.net

国鉄時代の駅名標です。天北線のような雰囲気を感じますね。しかしそれよりも駅舎の窓がすべて全開にされているほうが目を引きます。

 

ekimeihyo.web.fc2.com

1989年時点では電球型の照明です。国鉄民営化から2年、板はJRのものに交換されています。

www.onitoge.org

2001年時点では蛍光灯型に交換されています。なおこの年に廃止されています。

国鉄時代に蛍光灯型の駅名標照明はなく、1981年に開業した石勝線でも各駅の照明は電球型です。JR化後、1990年代ごろに交換されたものらしいのです。

抜海駅2番線の廃止

先日、抜海駅と佐久駅の2番線が廃止され、すぐに駅名標も撤去されました。そのとき、この写真を目にしました。

1993年時点で、抜海駅2番線に蛍光灯型の駅名標照明が確認できます。また、枠はかなり低いものであることも目を引きました。そして当時、車掌常務のキハ56が運行されています。

蛍光灯はキハ56時代のもの?

この写真を見てなんとなく、「蛍光灯型の駅名標照明は、運賃表示器・自動放送のないキハ56の時代に、駅名の確認をしやすくするためなのかねぇ」と感じました。そしてワンマン化後は急速にその役割が失われていった、と。

年表を見ると、このようになっています。

  • 1987年4月:民営化
  • 1991年11月:智北駅移転(駅名標照明なし)
  • 1991年11月:宗谷北線運輸営業所発足
  • 1993年3月:名寄~稚内普通列車ワンマン化

・・・あれ?ワンマン化が思ったより早かった。というか元のツイート通り1993年です。民営化から5年で、すべてが行われているわけです。

1991年ごろ、宗谷北線運輸営業所が発足する前後で、各駅イメージアップのために、電球型の照明を蛍光灯に更新する・・・そんなことが本当にあったのでしょうか?信じられない話です。

謎が深い蛍光灯

というわけで、どういう未来を見据えて設置された蛍光灯なのか、本当のところはよくわからないままです。そして2001年ごろには錆び始めており、メンテナンスが満足に行われていなかったことがうかがえます。いったいいつまで蛍光灯の交換などをしていたのかも、今となっては謎です。

現在、今回取り上げたタイプの照明が残存している駅は、撤去や更新によってほとんどなくなってしまったと思われます。枠さえ残っているか怪しいですね。それこそ佐久と、筬島、咲来くらいでしょうか。

現在の日本最北端の駅名標照明設置駅は・・・どこなんでしょうね。蘭留?さみしくなったものです。