もみじの研究ノート

駅名標の奥深い世界へようこそ。

2013年の写真が10年前の風景になっているという事実

2013年が10年前ってマ?

2013年は10年前である、という事実。よく考えてみれば当たり前のことなんですが、当時の写真を見返しても昨日のことのようです。

ところが、その写真たちをよくよく見てみると、実はもう見ることのできない写真にあふれています。細かい部分は着実に変わっていたり、自分の中で時が止まっているだけで、被写体はまるごと消え去っていたりします。

今回はそんな風景を振り返っていきます。

浦臼駅(2013年1月)

結局これが最初で最後の訪問となった、浦臼駅です。今でも行ったら見れそうな定番の風景です。が、いまは駅名標枠があるんだかないんだか。調べたらあるようですね。この時は浦臼行きワンマン列車での訪問。ここから中央バスが出ているのがおなじみでしたが、それも最近無くなってしまいました。

浦臼折り返し便(2013年1月)

踏切で立ち止まって撮っててすみませんって感じなんですが、浦臼折り返し便が止まっている雰囲気というのはこんな感じでした。今の北海道でこのような風景があるのはどこになるんでしょうかね。豊浦とか蘭越とか似てますけど、棒線駅で単行列車が折り返す光景というのは、実はほとんどないのではないでしょうか。あ、石狩沼田。あとは根室も貴重なんですよね。

ところで、新十津川方面の線路も比較的はっきりと顔を出しています。当時新十津川便は3往復だったのです。この日確か雪は降っていなかったとは思いますが、この線路が雪に覆われていない姿は、今見ると感じるものがあります。

銭函跨線橋(2013年3月)

721系の車内から何となく撮ったものです。こんなところにも銭函フォントで銭函と書かれていたんですね。現在はバリアフリー化によりエレベーターが設置され、こちら側の階段は撤去されています。反対側も扉が設置されており、このような光景は見られません。考えてみれば、左右どちらにも階段が設置されている跨線橋、今どのくらいあるんでしょうか。北見、長万部、強いて言えば小沢?

小樽駅(2013年3月)

長万部行きワンマン列車から眺める小樽駅のホーム。注目すべきはニセコライナーです。モジャくんドアステッカー、そしてなんとなんと、号車札がついているんですね。ニセコライナーは増解結をしますから、それも毎朝毎晩取り換えていたということになるのでしょう。とんでもないことをやっていましたね。

ちなみに右に見える「2」の番線標はまだ残っていますし、吊り下げ式駅名標もあります。そしてニセコライナーもまだ普通に走っていますから、それが奇跡のように思えてきます。この構図はまだたぶん撮れます。しかし10年後にはないでしょう。

倶知安駅(2013年3月)

倶知安駅ホームの屋根は、先端部分だけちょっと形が違うことが昔から気になっていました。そして、黄色くて錆びた、観光地にふさわしくないボロさをしていたことが印象的でした。

そしてそこには新ゴ細字の、JR北海道紺色サインの中でも初期のタイプの看板がありました。この時代の看板は、列車により例外もある中でも方面をしっかり記載することが特徴で、その分内容も細かくなっていました。現在は「のりば2」の表記が大きく太い文字で掲出されるのみになり、見やすい大きな文字となり国鉄感も出た半面、地名が並ぶという魅力はなくなってしまいました。

倶知安駅の屋根はこの後黒く塗装されたのもつかの間、現在は仮ホームに。そして地元は再開発に邪魔だとして早期の駅廃止を求めるという大変残念な展開となっています。

 

千歳駅(2013年5月)

これは今もほぼ同じ写真を撮ることができます。が、駅名標の照明は撤去され、板は交換されました。右上に見える照明もLED化されて形が変わっています。当時から汚いイメージを持っていた千歳駅ですが、今見ると、このころはまだ鉄骨の灰色がちゃんと灰色だったことが分かります。いまはもう茶色のイメージしかないです。

三川駅(2013年5月)

室蘭本線のこのエリアの駅は、汚いアクリルに覆われた廃墟のような駅名標が並んでいました。かつての札幌圏もこんな雰囲気だった駅名標が多いようで、それには間に合わなかった私ですが、これを見ることができたのは幸運だったのかもしれません。現在は、ひらがなが異様に大きい違和感のあるタイプに更新されています。

三川駅、後ろの貨物?ホームもきれいに残っていますね。今はどうなっているのでしょうか。ここも当時中央バスが通っていて、「 三 川 」のシンプルな方向幕など魅力があったのですが、廃止されています。

和寒駅(2013年8月)

和寒駅にも普通の駅名標が設置されている時代がありました。この後駅名標は日に焼け、交換され、駅名標照明は最後まで点灯していたものの撤去され、東六線は廃止されています。背後に2本の線路が見えていますが、副本線撤去の施策により今は残っていないような気がしますよね。というか当時2本も何に使っていたのでしょう。

快速ワンマン列車(2013年8月)

トップナンバーといえるキハ40 826にこの時乗っていたんですね(今知った)

快速なよろ号は当時嫌いでした。宗谷線旅最大の目的である仮乗降場をすべて飛ばし、列車名を言わないワンマン放送、そして車内は混雑。当時乗りたかったキハ54でもない。できることならキハ54による全駅停車の稚内行き普通列車みたいなのに乗りたかったんですよ。っていうのが懐かしいですね。

方向幕は「快速ワンマン」を示しています。(この快速表示存在感なさすぎですよね。なんでこんなに小さいんですかね?)現在は根室本線のサボ扱い廃止により方向幕も回されなくなり、快速狩勝で見られた最後の「快速ワンマン」表示も消え去っています。この写真は当時の旭川駅でサボ扱いと幕回しが抜かりなく行われていた証です。

小樽駅(2013年9月)

札幌近郊のLEDと言ったらこの色。交換前の姿です。交換されたときには濃い緑色に強烈な違和感を感じたのを覚えていますが、いつしか見慣れていきました。これ全然撮ってないんですよね。後悔しかありません。

いしかりライナーが消えて3年。本当に普通列車しか来なくなってしまいましたね。分かりにくい列車ではありましたが、便利に使っていました。たかが数分、されど数分です。いつか復活してほしいですね。ちなみにこのころは車内英語放送がただの「Semi Rapid service train」だったはずです。これがまた良かったんですよね。

南小樽駅(2013年9月)

すでに733系はバリバリであったのも10年前です。意外ですよね。上の写真たちと733系はちゃんと共存しています。

南小樽駅は跨線橋の工事により木造の上屋はなくなっています。古レールに取り付けられるホーローは原風景のような美しさをしています。新千歳空港タイプの筐体に紺色の番線標も懐かしいです。

あとがき

さて、いろいろと見てきましたが、実際のところ数年前まで見ることができたアレコレも多くあります。突然消えるわけではなく、10年の中で少しずつじわじわと消えかけていって、気が付けば大きな変化をしているのですね。

恐ろしいことは、この数年で鉄道ファンになりました、という人はこれらの光景を知らないということです。私は上のような風景を散々見てきたのですが、見ているのと見ていないのでは、見えている風景がだいぶ違っているんだと思います。もちろん、どちらが悪いというわけではないです。いつの時代もこの繰り返しなんだと思います。だからこそ「ちょっと前の時代に戻りたい」という欲望も生まれるのでしょう。

2023年の風景は…

これも当たり前の話なんですが、私たちが見ている風景も、10年後には10年前の風景になっています。私たちは10年後に何を思うのでしょうか。

北海道の鉄道において確からしいことは、基本的に今が一番賑わっているということです。もう廃れたように見えるあの路線、この路線も、今はまだ賑わっているほうなのです。あ、あの頃ってまだマシだったんだ。残念ですが10年後もまたそう思うのでしょう。

この10年でも北海道の鉄道の変化は激しかったと思います。キハ40が小さな駅に停まっていく、というような風景はその多くが失われてしまいました。7両編成だったスーパーおおぞらは4両になり、スーパー北斗は10両になって5両になっています。

10年後の北海道の鉄道は…北海道新幹線が延伸されていることでしょう。特急北斗が廃止。函館本線が本来の姿を失っています。キハ40はなく、キハ54も怪しい。札幌圏にクロスシート車両は残っていないのではないでしょうか。

そんなこんなを考えたときに、時刻を選べば札幌駅をクロスシートで出発でき、カラフルな40と、「スーパー」時代の面影をまだ残す北斗、「スラントノーズ」の261が走る宗谷、キハ40の塗装と窓枠を毎日リバイバルしているキハ150の非冷房車、登場時からほぼ変わらぬ姿のキハ54…みどりの窓口は縮小しても、改札駅員は終日配置、駅前へ駅員が改札放送を流し、札幌圏の駅でも変わらぬ改札中放送が流れ続ける。いいものしかそろっていないんだろうな、と思うわけです。