根室本線は滝川駅と根室駅を結ぶ、全長443.8kmの路線です。というのが、あと数日で過去のものになります。この最後の春、私は根室本線の全線を走破する、最初で最後の旅をしてきました。その中で地味に気になることを見つけたので、ちょっと研究します。根室本線が分断される前に、根室本線を時刻表の視点から見てみましょう。
浦幌町立博物館
旅の後半、初めて浦幌町を訪れました。以前から気になっていた浦幌町立博物館で、企画展「十勝の鉄道120年」が行われているためです。
私の一番の目的はやはり駅名標です。ふるさと銀河線の本物の駅名標を生で見るのがこれが初めて。本別駅の駅名標ではやはり「おかめどう」が気になります。よく見てみましたが、せんびりと全く変わらない大きさ・フォントで、完璧な修正が行われていることが分かります。こういうのは実物を見ないとわからないことです。
そして、上厚内駅。8年前に生で見たことがありますので、博物館に収蔵されているのが不思議な気分です。
謎の時刻表
その中で、気になることが。各駅の時刻表が4枚ほど展示されていたことです。自分にとって、これは初めて見る謎の時刻表です。なんだこれ?こんな古いの使ってたんだっけ?
そして、写真左側の上厚内駅時刻表は、いつ使われていたのかがはっきりと分からないといいます。時刻という情報が掲載されているのに、です。
この展示を企画された持田誠さんは、「近年の度重なる廃線に伴う鉄道資料の収集が追い付いていない」とおっしゃっています。これについて、私は「駅でオタクがあんなに写真を撮ってるのに、不思議だ」と思っていました。でも確かに言われてみれば、私もこれがいつのものかはすぐにはわかりません。たかだか30年前のことなのに、意外とわからないことが多いのです。
札幌駅の旧運賃表って?
そして、これは身近なところでも追いついていません。たとえば、札幌駅の消費税8%値上げ前、つまり2014年までの「運賃表」はどんなデザインをしていたか、皆さん覚えているでしょうか。私は完璧には覚えていません。そして驚くことに、これについてネットで検索しても、ほとんど画像が出てこないのです。
2014年までの運賃表は、駅ごとにデザインがばらばらだったといいます*1。確かにそういえば、札幌圏の駅でも2006年に廃止された「中徳富」の表記を消して使い続けていた光景を覚えています。でも、それらの画像が全然出てこない。身近なものすら過去のことがこれほどに分からないということに、危機感を感じます。
この時刻表からわかること
この時刻表から分かる、個人的な注目ポイントをいくつか紹介します。
いかにも釧路支社
白地に黒文字。いかにも釧路支社感を感じる時刻表です。これ右は民営化後なんですよね。こんなもの使ってたことに驚きがあります。さすがは釧路支社って感じです。(が、後述しますがこの感想は誤りで、このタイプの時刻表を使っていた期間は、本社管内のほうが長かったようです)
フォントはゴナ
フォントはゴナです。右側浦幌駅の一部数字フォントはウエイトが違いますが、新ゴではなさそうです。そしてよく見ると、「上り帯広方面」などの帯広だけ書体が異なり、手書き?になっていることが分かります。他路線でも汎用的に使えるようになっていたのでしょう。
列車名と記事
時刻・列車名・行先・のりば・記事。国鉄の時刻表ではこれが定番だったと思われます。ちょっと調べてみると、かつての釧路駅*2や富良野駅*3には「種別」欄があるものや、ごく最近のトマム駅では種別が省略されているものがある*4など、種別の有無はまちまちです。
上厚内駅の時刻表は「222D」などの列車番号です。都会で暮らす私たちにとって、今の時代ではかなり違和感を感じますが、地方の鉄道ファンは今でも「4012D」などと呼ぶことから、当時は一般客の間でも多少の認知度はあったのでしょうか。しかし「列車名」なんですかね??って感じで、やっぱり違和感。
そして、浦幌駅の時刻表では列車名は「普通」「特急」となり、記事欄に「特急おおぞら〇号」の表記があります。上厚内駅時刻表にある「帯広ー札幌間急行」の記事からの流れでは自然に見えます。
吊り下げ式
この時刻表の特徴的な点は、吊り下げて展示されていることです。フックや穴などももとからあったものなのでしょう。冷静に考えてみれば、いまどき時刻表が吊り下げられている駅なんてあるか?近鉄の鶴橋?というのが、今回の記事を書くきっかけです。
近年の釧路支社の時刻表はどうなっているか
いまどき時刻表の板が吊り下げられている駅なんてまず見ませんよね。ちょっと釧路支社の駅を見てみましょう。
時間帯により有人駅の白糠駅。時刻表は縦長のものが目線の高さに合わせて掲出されています。板ではなく、中身が変えられるパネルです。なんていうんでしょうあれ。
根室本線では最新?の駅舎を持つ新大楽毛駅。といってももう11年も経ったらしいです。マジかよ。津波避難情報、時刻表、運賃表が上揃えで掲出されています。枠はシルバーの新しいものです。
意外にも「記事」欄は今も存続しています。東釧路駅では快速列車の停車駅が一覧になっており、賑わいがあります、快速しれとこ摩周号の停車駅案内を葬式するために撮影したものです。今回、この時刻表を見下ろすように撮影しているのがポイント。決して見上げていないのです。
浦幌に展示されている時刻表は、いつ、駅のどの位置に掲げられていたのか、という疑問が生まれます。
レア!根室駅の運賃表
そういえば、浦幌町の展示を見る前には8年ぶりに根室駅を訪れていまして、とある看板の貴重さに気が付いていました。それがこちら。
道内ほとんどの主要駅が地図式の運賃表となっている中、根室駅だけは一覧表形式の運賃表が今も現役なのです。おお~これは珍しい、と撮影した一枚です。根室駅が終着駅で単純な路線図になることも関係しているのでしょうかね。
とここで。
この運賃表、吊り下げ式なんですよ。しかも。
そして、浦幌に展示されていた運賃表ともかなり似ています。根室駅はやはり国鉄スタイルの生き残りだということが分かります。
そんな根室駅の時刻表は
根室駅の時刻表はこちら。外照式照明が珍しいでしょうか。なんか主張の強い、現代的なものです。歴史も何も感じませんね。
・・・と思いきや。実はこの掲示する「場所」が、ポイントなのです。
そういえば!本社管内に…
よくよく考えてみると、本社管内にも時刻表を「見上げる」駅を思い出しました。学園都市線の終点、新十津川駅です。新十津川駅はあまりにも有名な駅ですから、たくさんのオタクが時刻表を撮影しました。そのおかげで、ネットで調べればすぐに出てきます。出てきました?みんな見上げて撮っていることが分かりますよね。
手元にある2つ隣の下徳富駅の1往復化直前の写真も見てみましょう。おうおうおう、なんか釧路支社スタイル、いや国鉄スタイルではありませんか。本社管内には、釧路支社よりも長く、2016年ごろまで国鉄スタイルが採用されていたようです。
そして、時刻表の掲示位置が、上。これぞ国鉄スタイルなのではないか、ということに気づきます。そして、上は上でも、改札口の扉の上です。根室駅の時刻表の掲出位置は、ああみえて国鉄スタイルなのです。
模範的な配置!茂尻駅
もっと国鉄のにおいがムンムンする駅を見つけました。根室本線の茂尻駅。
時刻表の位置が、改札口の扉の上。そして、時刻表が斜めに吊り下げられています。浦幌に展示してある時刻表ってこういうことなのでは!と気づいた瞬間です。
釧路支社管内には現存せず
このような駅は、調べた限り釧路支社には現存していません。理由として考えられるのは、1990年代の終わり頃に、ターミナル駅を除く釧路支社各駅の時刻表の方式を一斉に変更した可能性です。より見やすいよう掲出位置を目線の高さに合わせた位置に変更した可能性があるのです。その際時刻表も縦長に変更し、旧仕様の時刻表が町に寄贈されたのです。
根室線・直別駅
— 北海 太郎 (@Hokkai__Taro) 2023年11月21日
2019年3月16日からは信号場となっている
写真は旧駅舎で、待合室には机があった
訪問の半年後に十勝沖地震の被害を受け、現在も残るログハウス型の駅舎となった
駅舎の被害のほか、当駅構内で下りまりもが脱線した
かつては釧路駅から当駅までの区間列車も設定されていた
(2003/3/25) pic.twitter.com/RIbrTvjh4G
2003年3月に撮影された直別駅の旧駅舎です。すでに時刻表が見慣れた形式に変更されていることが分かります。
数少ない例外
調べていくと、例外の駅もいくつか見つかります。これは時代の変化の中で生き残った希少な例です。
縦長の時刻表が吊り下げられた西庶路駅
2003年に撮影された西庶路駅の待合室。当時は簡易委託駅だったようで、時刻表がホームに出る扉の上に、なんと斜めに吊り下げられている、茂尻駅と同じ光景です。運賃表もよく見るとひもで吊り下げられており、国鉄様式といえます。
西庶路駅は2005年7月に無人化されたようで、無人化後には埋められた窓口跡に時刻表が移設され、この光景は過去のものとなっています。
運賃表が吊り下げられた尺別駅
2011年5月に撮影された尺別駅の待合室には、ホームに出る扉の右横に釧路支社特有の地図式運賃表が斜めに吊り下げられています。これも国鉄的な考え方のもと設置されたものが近年まで残り続けた例です。なお、のちにやや下側の壁掲示に変更され、現在は廃駅となっています。
根室本線尺別駅待合室
— 元最北のリスナー (@soya_cape) 2017年3月6日
1983→2012
変わったところは壁が塗り替えられたことと灰皿が撤去されたことくらいかな・・ pic.twitter.com/pCkmLz7H1t
もっと古い写真を持っている方がいらっしゃいました。1983年当時はなぜか駅前側に、根室駅と似た様式の運賃表のみが吊り下げられていたようです。
電照式の巨大時刻表があった新得駅
ありましたよね、昔。これは私も生で見たことがあります。新得駅独自の様式で、あまり古さは感じさせないものでしたが、昔のターミナル駅はどこもこうだったのでしょう。現在電照式のものは撤去されています。
釧路支社を見習った第三セクター「ふるさと銀河線」
第三セクターというのは今も昔も国鉄やJRを見習い、その伝統を大切にする傾向があります。結果として青い森鉄道では、JR東日本の一昔前の光景を今に残したりしています。それがふるさと銀河線でも起こっているのではないか?と思ったら、やっぱりそうだったんですよ。面白いですね。
大誉地駅の時刻表です。「およち駅」と書いてあったところの裏、つまり改札口上に掲げられています。立派な板である点、横長な点、そして内容も浦幌に展示してある様式そのままですよね。うお~~~~
これは新駅舎の足寄でもそうだったようです。ほら、第三セクターはJR支社の真似をするんです。面白いですよね~ 今の道南いさりび鉄道とかも、きっと面白いはずですよ。
本社管内に残る「改札口上の時刻表」は貴重
さて、浦幌に展示してあるようなタイプの時刻表はリニューアルにより、現在釧路支社にはまず残っていません。根室の例も場所だけで、様式は相当変えられています。ところが、本社管内には多く残っています。快速列車のヘッドマークは律儀に残してきた釧路支社ですが、時刻表に関しては完全な逆転現象が起こっているんですね。
そして、その中でも多く残っている気がするのが、かつての学園都市線と石勝線、根室線滝川~新得間です。
亜種もあります。先日廃止された滝ノ上駅は1981年の石勝線化と同時に改築・無人化された駅で、改札口というものを持っていない美々植苗タイプの駅舎です。それでも時刻表は目線より上の高さに掲げる思想を持っており、それが廃止まで変わらずに維持されてきました。
富良野~新得間の駅も貴重
せっかくですから最後に富良野~新得間の駅を取り上げましょう。この区間も「改札口の上に時刻表」の国鉄スタイルをとる駅が非常に多い区間です。写真があまりありませんが、まとめてみます。
こんなに「上」が連続する区間、もう北海道ではここだけなのではないでしょうか。興味深いのが、これらが今日まで残ったのは「1994年に本社管内に移管されたおかげ」ということです。もう廃止されてしまいますが、この区間、実はこんな特徴もあったんですね。
ちなみに例外である山部駅は1988年に釧路支社が改築した新しい(?)駅です。この時すでに釧路支社は、時刻表の位置を目線の高さに下げたいと思っていたらしいことが分かります。意外ですね。下金山駅と落合駅は改札口を持たない美々植苗タイプの駅です。余談ですが、落合駅の構造って不思議だなぁと思います。
あと数日で廃線になる根室本線のこの区間で何気なく見上げていた時刻表は、実は貴重なものだったのだ。もっと早く気付きたかったですね。
おわりに
浦幌の博物館にある4枚の時刻表は、ネット上で画像を探しても当時の様子が全く出てきません。しかし、周りの駅を見渡すことで、ここまで奥深いことが推測できます。しかしながらそれらのこともどんどんできなくなっていく。ここに鉄道資料が残らないという危機があるんだと思います。時刻表がどこに掲出されていた、だからなんなんだ、とも言われそうですが、素朴な「なんで?」を説明できないの、もどかしいですよね。
私たちができることといえば、今あるものは何でも撮影しておく、くらいでしょうか。そしてその写真はいつ撮ったのかをちゃんと残し、なぜそうなったのか、というのを知っているなら書き留めるなりして記録に残しておく、これに尽きるのかなと思います。
*1:「外国人旅行者にやさしい鉄道目指す」東京都オリンピック・パラリンピック調整部(2021年7月9日)
*2:「釧路駅/コンコース - No.03」釧路の鉄道少年(2016年10月13日)
*3:「広尾駅って知ってますか」熊式。(2017年6月20日)