もみじの研究ノート

駅名標の奥深い世界へようこそ。

石北本線の不思議な駅名標たち 2

廃駅はないのに隣駅がシール表記?

石北本線(JR北海道)全駅舎、ホーム、駅前の写真、画像

2005年ころの石北本線各駅の画像を撮影し、紹介してくださっている方のサイトです。JR北海道各駅の旧駅名標を見ることができる、貴重なサイトです。

このサイトの写真を見ていくと、あることに気付きます。

例えば東旭川駅では、「きたひので」の表示のみ、シールによる表記が行われているのです。

他のサイトを含めて調べていくと、ほかにも以下の駅で、隣駅がシールによって表記されていたことが分かりました。

  • 東旭川駅「きたひので」
  • 桜岡駅「きたひので」
  • 伊香牛駅「しょうぐんざん」
  • 安足間駅「あいざん」
  • 安足間駅「とううん」
  • 上川駅「とううん」
  • 白滝駅「きゅうしらたき」

さらに、遠軽駅では、「せとせ やすくに しんさかえの」の3駅が並ぶというおかしな光景も見られます。

駅名標いろいろ JR北海道編

こちらのサイトによると、遠軽駅の表記は当初「せとせ やすくに」と書かれていて、「しんさかえの」は後から追加された表記、とのことです。

また、網走駅では、釧網本線「かつらだい」の表示が「よびと」と異なるフォントで表示されています。

通常、隣駅がシール表記の駅名標は、その隣の駅が廃止となったか、新しい駅が開業したかのどちらかです。しかし、上に挙げた駅で共通することは、写真の撮影時点では隣駅が廃駅となったわけではない、また、新しく開業したわけでもない、ということです。いったい、なぜこのようなことが起きるのでしょうか・・・?

 

シールの下には・・・

貴重な写真が発見されました。

大日本ノスタルジィ鉄道 石北本線 愛別駅

1988年(昭和63年)9月時点で、上川駅の駅名標が「てんまく」「あんたろま」表示となっているのです。

この表示について思い当たることは、国鉄時代の駅名標は「仮乗降場」を無視した隣駅表記が行われていた、ということです。国鉄時代、留萌本線など例外は多々あれど、基本的には「とううん」のような仮乗降場を無視し、「あんたろま」と案内されていました。

石北本線では、その伝統を受け継いだまま、国鉄時代の仮乗降場を無視した隣駅案内がされていたのだと考えられます。

 

なぜ石北本線だけこうなった?

JR北海道で、このように「国鉄時代の仮乗降場を無視した隣駅案内」が行われた駅名標はこの路線だけです。なぜこのようになったのでしょうか? 私が考える理由は2つです。

 

このタイプの駅名標は、隣駅表示が小さいことが特徴の、JR北海道が初期に設置した駅名標です。元仮乗降場の駅をどう表記するかがあいまいのまま設置されてしまった可能性があります。

 

  • 当時元仮乗降場の駅に「営業キロ」が設定されていなかったから

Wikipediaによると、石北本線の元仮乗降場の駅に「営業キロ」が設定されたのは1990年(平成2年)3月です。営業キロが設定されるまで、駅名標上の表記は国鉄時代のままにしていた可能性もあります。

このように、あまりはっきりとはしませんが、元仮乗降場であること、営業キロが設定されていなかったことが関係している可能性が高いです。また、桂台は旭川支社最東端の駅です。旭川支社のみこのような状況になっていたこともうかがえます。

 

当麻駅の国鉄時代の駅名標は・・・

 

前回紹介した、当麻駅の国鉄時代の駅名標。隣駅が「いかうし」表記となっているものが5年ほど前まで残っていました。この「隣駅表示がおかしい」駅名標、通常であればJR化後に撤去、または隣駅表示の変更がされるはずです。

しかし、当麻駅でも駅名標の交換当初は「いかうし」表記であったため、JR化後すぐには間違った表記ではなく、訂正もされませんでした。その後、他の駅名標に「しょうぐんざん」のシールが貼られた際、国鉄時代の駅名標は放置されてしまい、結果的に最近まで「いかうし」表示が残ったのではないか・・・と考えられます。

 

以上、石北本線の、「廃駅はないのに隣駅がシール」の駅名標についてでした。

ちなみに、このシールのフォントはゴナではなく「見出しゴMB31」のように見えます。なぜゴナではないのかは謎です。JR北海道が見出しゴの駅名標を設置した駅はいくつかあり、1993年の留萌本線 信砂駅です。他にも深名線の白樺、蕗ノ台でも見られます。さらに西北見には「き」だけゴナの謎の駅名標があったりします。同じ旭川支社、似た年代ということで、何らかの関連があるのかもしれません。

 

参考

過去の駅名標を撮影し、その貴重な写真を公開していただいていることに感謝いたします。