もみじの研究ノート

駅名標の奥深い世界へようこそ。

新十津川駅 駅名の謎 1

今回は、先日まさかの形で運行を終えてしまった、札沼線の終着駅に関する話題です。

札沼線についていろいろ書きたいことはあるのですが、省略します。新十津川駅の幻の硬券入場券、ホームページの隅にこっそりと載せられる程度で密かに運行された臨時列車、実現しなかった5両編成での運行など、取り上げたい内容は山ほどあるのですが、自分でも整理がつかないくらいに多いので、今回は思い切って、すべて省略します。

それにしても、私にとっても思い出深い路線であった札沼線にきちんとしたお別れができなかったことは残念でなりません。

 

札沼線の終着駅 新十津川駅

札沼線の終着駅は「新十津川駅」です。いや、でした。「十津川駅」はあるのかというとそうではなく、北海道開拓初期に、奈良県十津川村から移住した住民が開拓したことから名付けられたという歴史からこの名前となっています。もとは「中徳富」と呼ばれたこの駅が新十津川駅になったのは、戦時中「不要不急線」に指定された札沼線が復活した1953年、終着駅となったのはその約20年後の1972年のことです。現在では1日1本しか列車が発着しない駅として有名になりました。

 

現在の駅名標

現在の新十津川駅駅名標です。様々な特徴があるので、以下にまとめます。

学園都市線の枠」

多路線と比べて一番変わっているところは、「学園都市線」と書かれた枠の中に駅名標が収まっていることです。JR北海道駅名標で「枠」にこだわっている駅はいくつかあり、学園都市線以外には日高線が挙げられます。また、茶内、浜小清水、倶知安蘭越などで「木の枠」に収まった駅名標が見られます。ですが、学園都市線のようにすべての駅が同じ枠に収まっているという路線はほかにはなく、駅名標の面から見ればかなり特異な路線です。他の路線が国鉄から受け継いだサビサビの枠を使い続ける中、この閑散路線はよく思い切って全部交換したなという感じです。

そんな「学園都市線枠」の中にも数種類あるわけですが、今回はその説明は省略し、アクリル板の中に収められた初期タイプであること、ー学園都市線ーの書体もゴナであることだけ紹介しておきます。

 

駅名標の表示面

次に駅名標の表示面について。標準的な「ゴナ」の駅名標であり、特に変わったところは見受けられません。

隣駅表記

かつて、隣駅は「なかとっぷ」と表示されていました。2006年になり中徳富駅が廃止されて「しもとっぷ」となりました。この「しもとっぷ」の表示は、よく見るとゴナではなく「ロダンB」による表記が行われています。これは、この時期のJR北海道が設置した駅名標に「ロダン」が多かったことが関係していると思われます。「ロダン」タイプの駅名標は次の機会に紹介しますが、この「しもとっぷ」の表示は、ロダンタイプの駅名標がいつごろ設置されたかが分かる貴重な資料です。

ちなみに英語表記は「Shimo-toppu」とTが小文字です。このころはまだハイフンの後は小文字であったことが分かります。なお、この「しもとっぷ」の表記はシールではなく、アクリルの中に紙が差し込まれているように見えます。このタイプならではの訂正方法ですね。

 

駅名標の照明

この駅は駅名標から電線が伸びていることからわかる通り、駅名標の上部「学園都市線」の文字がある部分に蛍光灯が入っています。学園都市線末端区間の全駅にこのスペースがあるわけですが、実際に点灯する駅はかなりまれで、私の手元の写真には石狩月形駅しかありません。その他、2014年に石狩金沢駅で電気がついていた記憶があります。

そしてこの新十津川駅も、1990年代には電気がついていたようですが、その後消灯しています。

 このように、2016年2月時点では照明はついていません。

しかしその後、2019年ごろから、駅名標が再度点灯しています。

ちなみに名所案内板は消灯しています。JRが自主的に照明を入れたとは考えにくく、地元からの要望があったのではないかと考えられます。現在道央を中心に駅名標照明、の消灯が進んでいて、一度消えた駅名標の照明が再度点灯することは、とても珍しい例です。

列車が最終運行を終えた後でも、駅名標の照明はついているようです。

 

一世代前の駅名標

 JR化後、学園都市線の愛称がつく前のごくわずかな期間に見られた駅名標です。駅名標の枠が黒いことが特徴で、JR初期の浦臼駅石狩当別駅などでも見られたものです。また、函館本線札幌~長万部間などでも2007年ごろまでは多く見られたスタイルです。国鉄がJRになった時に、わざわざ塗り替えたんですね。現在は看板の更新とともに白色への塗り替えが進み、黒色のまま残っているのは函館支社のみとなっています。

この写真の駅名標が現在のタイプの駅名標に板面のみ引き継がれたのかどうかは、よくわかりません。ねじ穴などがあれば一発なのですが、確認できないんですよね・・・なお、名所案内板は明らかなねじ穴の跡があるので、この写真のものが現在まで引き継がれました。また、札沼線内でも於札内駅などでは駅名標にねじ穴の跡が見られ、板面が引き継がれたことが分かります。

 

二世代前の駅名標

 

 国鉄時代の駅名標です。「がわ」となっていることが特徴で、枠は一世代前のものと同じですね。北海道でよく見られた標準的なタイプで、私も好きです。すみ丸ゴシック体で、市町村名の表記がついています。国鉄駅名標については私もよくわからないのでこの辺で。

 

三世代前の駅名標

 2020年6月追記

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1976年に撮影された、3世代前の駅名標です。HTBは貴重な映像をたくさん持っていますね・・・丸ゴシックで「がわ」表記、市町村名の表記がありません。1972年に設置したものと思われますが、設置から4年で早くも錆び始めています。

 

四世代前の駅名標

札沼線が異例のラストランを終えた数日後。私は驚きのニュース映像を見ました。今まで見たこともなかった、四世代前と思われる駅名標が写っていたのです。

youtu.be

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これがその駅名標です。石狩沼田までの路線が廃止され、新十津川駅が中間駅でなくなる1972年に撮影された映像です。筆文字で古いですね~

とここで。

 

「しんとつかわ」

”SHIN TOTSUKAWA”

 

あれ?? しんとつ「が」わじゃないの!?!?

ここから、新十津川駅が「かわ」なのか「がわ」なのかをめぐる謎が始まったのです・・・

 

つづく。