もみじの研究ノート

駅名標の奥深い世界へようこそ。

石北本線の不思議な駅名標たち 1

お久しぶりです

こんにちは。新型コロナウイルスの感染拡大が収まりませんね・・・私は4月からいろいろと生活環境が変わったわけですが、様々な影響を受けています。私にとっては思い出深い路線であった札沼線も、思わぬ形のラストランを迎えてしまいました。

私の趣味である鉄道も、「人々が移動する」ことを基本に成り立っている交通機関です。今回の事態は都市・地方関わらず大きな影響を受けていて、事態が収束しても簡単には立ち直らないことでしょう。今後日本の鉄道は一体どうなってしまうのか、まったく予想ができません。

さて、このブログでは以前と同じように記事を書いていきたいところですが、諸般の事情により、記事に「過去に撮影した写真」を掲載することができません。いろいろと事情があって、現在私が過去に撮りためた写真の9割以上が手元にないのです・・・ そのためしばらくの間、基本的に文章・他のサイトのリンクを中心に記事を書くしかない状態です。ご了承ください・・・

石北本線の不思議な駅名標たち

今回は石北本線を取り上げてみようと思います。この路線はJR化時から現在まで、他とは違う不思議な駅名標が数多く設置されてきた路線です。今回はそんな駅名標たちをまとめて紹介しようと思います。

 

新旭川

石北本線の起点駅です。この駅ではJR化当初、ゴナ・隣駅細字の駅名標が設置されていましたが、1995年~2000年ころ(推定)にロダンEBの駅名標に変更されています。文字が太いため駅名標に興味がない方でも「なんか変だ」と気づくはずです。

(写真)

個人的には、旧駅名標は隣駅の表記が小さすぎるため変更された可能性を考えていますが、正確な理由はわかりません。2003年に旭川運転所が北旭川に移転し、駅構内が電化された際、こ線橋が新しくなったようですが、2000年ころのこの駅に特段変化があったわけでもないですし・・・

(写真)

また、この駅では「しんあさひがわ」の駅名標が残っていることも有名です。4番線の旭川方に2枚残っていたはずです。2014年ごろにはそのまま残っていたはずですが、その後濁点が黒く塗りつぶされました。「かわ」の駅名標と比べて文字の大きさや比率が異なります。この違いが、北海道のホーロー駅名標の謎を解くカギになると思っています。まだこちらの分野は個人的にも開拓できていないのですが・・・

 

北日ノ出

函館駅近くに保存されている青函連絡船 摩周丸に残っている、道内全駅の駅名標を集めた広告があります。それを見ると、この駅は北海道内でも早い段階からJR仕様の駅名標に交換された駅であることが分かります。

石北線・北日ノ出駅−さいきの駅舎訪問

このサイトからは、2001年時点では「北日の出」であること、そして「ひがしあさひか」など、一部の文字がはがれていたことが分かります。

(写真)

その後、2006年6月ころに「の」は文字の一部を切り取って「ノ」になり、一部のはがれた文字は異なるフォントで付け足されています。

・・・いやまあ、どうでもいいことなんですけどね。でもこのように、昔の状態と今の状態を比べることができるのはおもしろいことです。ちなみに現在は新しいものに交換され、現存しません。

 

当麻駅

この駅は上下ホームとも上屋がある大きな駅で、上下ホームとも他では見ない駅名標が設置されています。

(写真)

まずは下りです。デザインは他駅の吊り下げ式駅名標と同じデザインですが、縦横比が他駅と異なる見慣れないものです。同じく縦横比が異なる奈井江駅とも違う比です。ちなみに名所案内板は音威子府駅のような非電照式です。

(写真)

続いて上りです。数年前まで、国鉄時代からの駅名標が設置されていました。電照式のように見えますが、そうではなくで、木製・非電照のようです。隣駅が「しょうぐんざん」ではなく「いかうし」と表示されていて、国鉄時代は将軍山が仮乗降場であったことが関係しています。

ただ、ここで疑問になるのが、なぜこの「隣駅が間違った駅名標」が約30年もの間残り続けてきたか、ということです。普通に考えるとちょっとおかしいことなのです。全道各地の国鉄駅名標がどんどん更新される中、なぜこの隣駅が間違っている駅名標が残ったか、それは周辺駅の旧駅名標を見ると、明らかになってくるのです・・・

つづく。